ハノーヴァー・マヌーヴァー

ハルキストよ、ジャズを聴け

2016/11/03 10号

音楽評論家としての村上春樹

さて、秋といえば、ノーベル賞らしいです。そして多くの日本人がやきもきするのは、村上春樹がノーベル文学賞を今年こそ、今年こそは、受賞するのではないか!と期待させて、結局受賞しないところです。

しかも今年はどうしたことか村上春樹氏に捧げられるはずの、文学賞でボブ・ディランが受賞してしまい、しかもボブ・ディランはどうもその後雲隠れしてしまっていて、はっきり辞退するとも伝えていないようです。

私は実は村上春樹氏の小説を読んだことがありません(キッパリ!)。実は冬のソナタを観たことがないというのと二大自慢なのです。おっほん。

しかし彼のことは、別の面から深く敬愛しているのです。それは音楽評論家としての彼の活動です。

ジャズはネイティブ、クラシックは習い中?

彼は学生時代からジャズが好きな人でした。文学作品を書く前はなんと親から借金をしてジャズ喫茶まで開いてしまったという人です。

え、知らなかった!?ビートルズが好きな人だと思ったでしょう。私も実は海外に住んでいたとき周りの人が日本文化を話すとき、ハルキ・ムラカミ、ハルキ・ムラカミ、いうので、ああ、ジャズとかビートルズとかのことを書く人?というと、違う、偉大な文学者だ!と言われて驚きました。何せ彼の小説を読みませんので、そっちの側面は知りませんでした。

しかし彼の『ボートレイト・イン・ジャズ』(新潮社)という本を読むと、彼が大好きな、かつ入門として聴くとよいジャズメンを非常に熱心にしかも実にツボを押さえた書き方で紹介していて、実にこなれていると思うのです。

ネイティブです。ジャズ・リスナーのネイティブなのです。この本の挿絵を描いている和田誠氏も実にジャズメンの特徴を押さえて、しかもちょっとハヴァナかカリブの絵画のような簡略化を経て実に味のある肖像を描き添えています。

しかしながら、小澤征爾氏と対談した『小澤征爾さんと音楽について話をする』(新潮文庫)ではずいぶんと苦戦をしています。

楽器を弾かない(という設定の)人の評論は苦しい?

村上春樹氏は楽器を弾かないという自己設定になっています。音符も読めないことになっています。しかしながら、ジャズ喫茶まで経営していた人ですから、ギターのコードくらいはゼッタイ弾くでしょうし、ひょっとしてどれどれ、なんてテナーサックスをぺろぺろっと吹けるのかもしれません。しかしながら、この小澤征爾というマエストロに敬意を表しているのかそういう設定になっています。

その設定のせいで、例えばフォルテッシモとかアダージョとかゼッタイ知っていると思うのですが、決してマエストロの前で言わないのです。

そのせいで読んでいて、とってももどかしいというか、ああ、本当はこう言いたいのだろうか、と考えながら読まなければならないのです。

そういう意味では音楽用語を使わないで評論をする、しかもマエストロたちの音楽を一般人という設定で(だいぶ無理がありますが)、書くという、彼なりの実験を試みたような、ストレートには響かない書きぶりになっています。

無理にクラシックで評論を試みたのは、実はジャズ評論の世界でちょっとした困りごとを彼は経験したからなのです。ジャズ評論は禁じ手にしたかったのでしょうか。それについてはここで私が書くと語弊があるので、ハルキストのみなさんはぜひ自分で調べてください。

ノーベル賞に一喜一憂するよりジャズを聴け

というわけで、ハルキストは、ノーベル賞の発表に一喜一憂するより、彼の好きなジャズを聴いて欲しいのです。前述の本でも読みながら、彼のネイティブ・リスナーの耳にかなう曲をぜひ聴いてみて欲しいのです。

大物はほとんど紹介されていますし、ジャック・ティーガーデンとかビックス・バイダーベックとか、彼ならではの人物も紹介されています。

そうやって、今年こそは、今年こそは、うわーだめだった、というのを毎年大人の態度でワインでも飲みながら楽しむようになってもらいたいものです。