ハノーヴァー・マヌーヴァー

シンガーとしてまったく世に知られなかった宝石

2016/11/14 21号

女優として知られたけれども実は

さて、前回ノラジョーンズのように、デビュー作が話題を呼びすぎるとだんだんそこからおかしくなっていくミュージシャンは多いという話をしました[参考 ノラによるノラのためのノラのノラジョーンズ]。

では逆に一枚録音したけど、まったく世に出ることも無く、ずっと後になってから評価されるようになったミュージシャンとかいるのでしょうか。絵画の世界では、フェルメールなどがそうですが、音楽の世界ではえー、ありえない!と思うでしょう。

ところがいたのです。彼女の名前はドロシー・ダンドリッジ。50年代の映画ファンには「カルメン」のカルメン・ジョーンズを演じた、アメリカの黒人だけどどこかスペインかイタリア人のような不思議な魅力をもった女性として思い出す人もいるのではないでしょうか。

彼女はほかにも映画版のポーギーとベスなどにも出ているので洋画ファンにはおなじみの人かもしれません。

歌手から始めて女優になった

彼女は女優だったお母さんのトレーニングを受けて、子ども時代からお姉さんとでしょうか、姉妹で歌を歌う仕事をしていました。アメリカ南部をくまなくツアーして回ってほとんど小学校には行かなかったそうな。

そのうち家族はハリウッドに移るようになり、姉妹はアポロシアターやコットンクラブなど有名なクラブに出るようになり、映画の中で端役をもらったりします。こうしてだんだんドロシーは女優の道が開けていくのです。

女優として世界的に名を知られることになった、彼女のカルメンは、黒人で始めてのアカデミー賞主演女優賞にノミネートされるという快挙を成し遂げるわけです。黒人に対する差別の激しかった50年代にこれは本当に意義のあることだったわけです。

費用と撮影日数がやたらかかって、あまり評価が芳しくなかったポーギーとベスの後、残念ながら、離婚を二度経験したり、仕事が来なくなってしまったりして、彼女はどちらかというと歌手として再出発しようと計画していたようですが、ある夜孤独な中自宅で死んでいるのがマネージャーに発見されました。死因は抗うつ剤の誤った服用とも、足を骨折したため起きた血管のつまりとも言われているようです。なお、経済的にかなり困窮していたとも言われています。

長い時間のあと、彼女は再評価された

彼女はどういうわけか、ずっと忘れられていたのですが(そのヨーロッパ的美貌が忘れられていた原因でしょうか)、特に黒人女優や歌手から再評価されるということが80年代、90年代に起きました。ジャネットジャクソンやホイットニーヒューストンらも黒人が社会進出を阻まれていた時代に世界的に名前が知られる名作を撮った彼女を尊敬する新しい世代でした。

彼女の人生を取り上げたIntroducing Drothy Dandridgeというテレビ映画が放送され、これは2000年にエミー賞とゴールデングローブ賞を総嘗めするのです。しかし残念ながらこの映画で使われたサウンドトラックは彼女の歌声ではなかったわけです。歌手からスタートしたはずの彼女なのに、あまり音源は残されていなかったのです。

と思っていたら、とんでもないことに(!)ジャズで有名なVerveレーベルにアルバム丸々一枚プラスアルファ録音してあったものが残っていたのです!ありえませんね。何かの奇跡なのでしょうか、バックはピアノのオスカーピーターソンとギターのハーブエリス、ベースはレイ・ブラウンです。このメンバーは本当にありえませんね!?

そして彼女は実に自然にスタンダードを歌うわけです。これこそが本当の彼女なのではないかと思うわけです。とっても表現が豊かなのです。1958年に録られたものだそうで、1999年に初めてリリースされたというのですから40年放っておかれたのです。なぜこれが放っておかれたのか。全く謎です。もしちゃんとリリースされていれば、彼女は孤独な死など迎えなくて済んだのかもしれません。

ハノーヴァー・マヌーヴァーでは残念ながら彼女の曲は出てきませんが、これからも記事でこうした運命のいたずらとしか言いようの無い生き方をしたアーチストを取りあげていきたいと思います。


参考
Wikipedia Dorothy Dandridge
https://en.wikipedia.org/wiki/Dorothy_Dandridge