ハノーヴァー・マヌーヴァー
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90年代の名盤20枚特集 その12 Wide Opne Spaces ディクシー・チックス 206号

2017/06/03

混沌の末神はカントリーを清く正しくかわいい音楽ファンに与えたもうた

支配人:エリカ・バドゥもアラニス・モリセットも90年代前半のぐちゃぐちゃを再構築していった人たちだけど、やっぱりその背景にはぐちゃぐちゃなラップとかグランジとかあるわけで、この時代本当に普通の社会層に属する清く正しい人たちは困ってしまったんだね。

マヌーヴァ:音楽は自分の社会的身分と結構結びついていますからなあ。まあ、デッドヘッズ(グレイトフルデッドのファンのことで証券会社役員から不良若者まで幅広いファンがいた)のような例外もありますが。90年代はグランジが嫌いな白人中間層、ラップが嫌いな黒人中間層は多かったでしょうな。

支:そういう中間層というか中流の音楽ファンが満足できる音楽は2000年代のそれも2007年くらいまで待たないと出てこないんだけど、でもその先駆けというか萌芽というかはあるんだよね。特に白人の場合、これまでダサいイメージだったカントリーががぜん注目を浴びてくるわけだね。

マ:ああ、なるほど、土臭いカウボーイから、どこにでもいる育ちのいい白人の家族の音楽にアップグレードしたんですなあ。

支:90年代後半はその胎動というか、フェイス・ヒルとかその旦那になるティム・マグロウとかが普通のヒットチャートに出てきたんだね。そういう背景で、80年代後半から10年間下積みしたディクシー・チックスが、97年にWide Opne Spacesでメジャーデビューして、すごい売れて、2003年にはアメリカで1200万枚も売れたんだね。

マ:やっぱり音楽は過激でギャングスタだの爆音パンクやグランジが好きという人は本来は少数で、清く正しくそしてかわいいのが売れますもんなあ。

支:そうなんだね、そういうのが業界の都合でさげすまれたのが90年代前半で、気が付けばゴミのようなものだけまき散らされて、90年代後半になってやっと、メロディーがあってきれいで聞きやすくて一緒に歌って共感できるものが価値があるのに気づいたんだね。

マ:ただそれがアメリカにとってはカントリーだったわけで、またそれが致命傷でしたな。海外には広まりませんでしたし。2000年代後半のテイラースイフトですら、海外では、はあ?なぜカントリー?という感じでしたもんなあ。

支:そうなんだね、カントリーにもいろいろ問題があって、海外の人はカントリーというと、アメリカを礼賛する、今でいえばトランプ大統領みたいな人が聞くんだろう、と馬鹿にするんだよね。中間層が聞く音楽がなかったから、伝統的なポップス・ロックの形に近いカントリーを聞かざるを得なかったわけで。ディクシー・チックス自体も、そういう盲目的なアメリカのマッチョ文化の支持者ではなくて、湾岸戦争の直前イギリスで湾岸戦争が起きないように願っているというようなメッセージを言ったら、アメリカで袋叩きにあったみたいだね。

マ:なるほど、たしかにカントリーシンガーはマッチョなウルトラ・ライトなイメージがありますし、アメリカ内部でも清く正しく美しいという姿はそれに近いわけですから、そういう発言を受け入れたくない人は多いんでしょうなあ。そういうことがあったからこそディクシーチックスは新時代のいろんな社会層に受け入れられるカントリーミュージックを作れたともいえるでしょうなあ。

支:そうなんだね。でもオバマ大統領になるまで、この9・11の影響はアメリカの音楽を寸断するんだね。愛国マッチョでないとみんなの前で歌えないという・・・今となってはちょっと信じられないけど、その傷が癒されてなくて、トランプ大統領の時なりふり構わずミュージシャンがヒラリークリントンを支持して、敗れて行って、さらに傷口は大きくなっている。アメリカの音楽の影響力が失われたままなのはここに原因があると思うな。





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