音楽はストリーミング配信が中心となるか 175号
2017/05/01
所有からアクセスの時代へ?
マヌーヴァ:昨日の『誰がJ-POPを救えるか?』(麻生香太郎)の続きで面白い本を見つけましたぞ。
支配人:へえー?何ていう本。
マ:2016年11月の本で、『ヒットの崩壊』(柴那典)という本ですな。
支:ああ、タイトルはいかにも同じ感心の本みたいだね。それで何だって?
マ:まあ、麻生氏の本よりはポジティブで、そもそも音楽が売れなくなったわけではなく、それはCDが売れないだけで、すでに時代はCDを所有する時代から、ストリーミング配信に移行していて、、世界はそうだけど日本はまだそうではない、という話ですな。
支:うーんなるほど、ダウンロード配信ですら遅かった日本だからストリーミング配信となるともっと進まないよね。スポッティファイドというのが始まっているけど。
マ:そうなんですな。この著者はダウンロード配信すらもはや古い物で、音楽は所有からアクセスへという時代になっているという主張ですな。
支:うーん、それはどうなんだろう。なんだか自分で所有しないとなると自分でいろいろ考えたりしなくなるし、売り込む側に支配されてメガヒットだけ聞き続けるようになるんじゃないかな。このハノーヴァー・マヌーヴァーが大事にしたい、自分の中で音楽のレガシー、財産を作るっていうのもなくなりそう。
マ:そうですな。この著者もアメリカではメガヒットを出すスターが結局10代、20代へ影響を与えていて、ニッチな人たちはいなくなるという、これまでネット社会で信じられていたニッチなものが市民権を得るという社会は来ないだろうという予測ですな。
支:まあそれはいつもそうなんだろうけど、やっぱり電気機器業界が媒体を決めてそれに合う形式で配信されるっていうだけで、ウォークマンやカーステが流行ったからカセットが売れたって言うのとあまり変わりがないよね。結局、音楽が町から聞こえなくなったのは、媒体の問題じゃなくて、音よりも視覚的なエンタメに10代、20代が慣れすぎたせいじゃないかな。